日本語話者の認識偏り
日本語を母国語とする人には独特なリズムの癖があります ─── これが『縦乗り』です。これまでこの縦乗りとはどういうものか分析し、縦乗りとは何かを定義した上で、縦乗りにならない為にはどうすればいいのか、更に踏み込んでグルーヴするためにはどうすればいいのかを考えてきました。しかし縦乗りを直すことは容易ではありません ───克服する為にはどんなに短くても数年、長いと十年以上掛かります。
日本人には独特な歩行習慣があります ─── 日本人は動くものを避けられない ───これは日本人からほとんど認識されていない問題ですが、海外の人から見ると非常に目立つ特徴になっています。このことをここでは進路被りと呼ぶことにします。 この特徴も縦乗りと同様に、直すことが非常に難しく、また直すことが難しい以上に、この歩き方自体を意識すること自体がとても難しいという問題があります。この問題も、克服する為には長い年月を必要とします。
超グルーヴ理論では、これらは言語リズムが、運動する認知能力の時間の認識に深く関わっているからだという仮説を提唱します。─── つまり、縦乗りを治すためには自分が自分自身の運動をどう認識しているか深く内省し、それを改革する必要があります。
前章
日本語には、モーラ拍リズムという世界的に見るととても珍しいリズム構造を持っています。その日本語を母国語として話す日本人は、言語の発音構造の影響を受けることにより、その行動上起こる認知偏りに大きな特徴が生まれます。この独特なリズム認識型をここでは
この
この日本人の
進路被りとは
日本人だけに見られる行動パターンがあります ─── 日本人は動くものを全く避けない ─── これは私が海外放浪を終えて日本に帰国した時にまず最初に気付いたことでもあります。
以下の説は、筆者である私の個人的な体験に基づいた観察と、そこから導き出された仮説です。この仮説が本当に正しいかどうかには、多くの検証が必要でしょう。この仮説は、客観的に定量化された情報を基準にしていないという点では厳密性に欠けるものです。
しかしながら、私が12年間の海外放浪をする前とした後で私自身の感覚が大きく変わったことにより、気付く様になったことがあります。それは日本語の感覚と海外の感覚を切り替えられる様になったから気付くようになったのではないかと思います。
複数の視点が重ね合うことで生まれた意見は、興味深い事実を浮かび上がらせる筈です。それは個人的な体験であったとしても、一定の価値があるはずではないかと、私は思います。
そしてそれは、私個人の体験記でしかないということは決してはなく、実は英語で語る日本在住者の話題として、実は非常に一般的なものだということにも気付きました。これは実は、日本人以外の人々は既に気付いていることでもあるのです。そしてこれらはインターネット上のSNSや掲示板などで具体的に文字として確認することが可能です。例えそれが、定量化されていない意見であったとしても、そこには日本人の認知に一定の偏りがあり、それが日本人以外の人に一定の違和感を与えているということは、少なくとも言えるでしょう。
世界中の人が知っているのに日本人だけが気付かない日本人の特徴とは ───それは、「通路で日本人とぶつかりそうにならずにすれ違うことがとても難しい」ということです。私は海外放浪中、色々な人混みを歩きましたが、海外放浪中すれ違うことに失敗してぶつかりそうになる人がいると、それが必ず日本人であることに気付いたのです。最初は気の所為だと思っていたのですが、再現性が非常に高く、毎日人混みを歩いていると日に1〜2度は遭遇するような感覚でした。
右に避けると右に避ける、左に避けると左に避ける、必ずワンテンポ遅れて同じ方向に避けるので、すれ違うことが出来ないのです。
その後興味を持って、海外の人混みで浮かび上がるこの日本人独特な行動パターンを観察するようになりました。すると実はこれは海外では比較的良く知られている日本人の習慣でもあるらしいことに気付きました。
日本人がだけが知らない日本人の進路被り
歩行者同士の進路被り解消システム pic.twitter.com/2aFqVw2eQY
— テコまる (@tecomalupepepe) May 10, 2024
上記はテコまる氏作成の「進路被り解消システム」のビデオです。この様に通路で進路が何度も被ってぶつかりそうになることはよくある問題ではないでしょうか。 ─── しかしこれが日本独特な問題だということを気付いたのです。
海外の人々は、人混みを歩く時に人と衝突しないことに最も注意します。 人混みには色々な人がおり、スリやどろぼう酔っ払いなどの危険な人物も紛れていますし、どこにどのような予測不能な危険人物が紛れているかわからないので、人の進路を遮らない様なコースを無意識のうちに通ろうとする習慣があります。 ─── なので人と人が鉢合わせになったりぶつかりそうになったりすること自体がそもそもほとんどありません。
ところがこの予め避けておくという習慣が日本人にはないのです。海外の歩行者が必ず避ける人の通路を横切る様なコースをまず認識上で認識していない為、歩行者の前を横切るようなコースを無意識のうちにとってしまうのです。すると鉢合わせになってしまう可能性が高くなります。
つまり海外の人はめったに鉢合わせにならないのに、日本人はしばしば鉢合わせになります。鉢合わせになると新たに次の問題が起こります。鉢合わせになった時に、相手と逆の方向に避けることが出来ないのです。 相手が右に避けると吸い込まれる様に右に避けてしまいぶつかりそうになる。 相手が左に避けるとやはり同様に吸い込まれる様に左に避けてしまいぶつかりそうになるのです。結局必ずワンテンポ遅れて同じ方向に避けるので、必ずぶつかりそうになり、すれ違うことが出来ないのです。 ─── しかもこれは定常的に2度〜3度と連続して起こるという特徴があります。
歩行者の速度が日本と比べて圧倒的に速い海外では、この歩き方は命取りになることも珍しくありません。この日本人の習性は、とても目立ちます。 ─── しかし、このことに気付いている日本人は非常に少ないという問題があります。
進路被りとの出会い
私がこの現象に始めて気付いたのは、タイのバンコクの歩道でした。 スクムビット通りの歩道は屋台や路面店が多く並んでいるため通路が狭い上、世界中の観光客が大勢バラバラな方向に歩いています。しかし歩道の人々は機敏に避け合って不思議とぶつかることはほとんどありません。お互いが通り過ぎることが出来ないと気付けば、どちらかが予め先に避けて相手が通過することをまったり、通路の窪みに入って相手をやりすごしたり、肩を引いて相手を通したりと、機敏にコミュニケーションを取りながら、通りを歩いているのです。
しかし歩いていると稀に、右に避けると同時に右に避ける、左に避けると同時に左に避ける、というようにワンテンポ遅れて同じ方向に避ける人とぶつかりそうになることがあります。顔を上げて見てみると、その同じ方向に避けた人が日本人だということに気付きます。
最初は気のせいかも知れないと何度も確認したのですが、この現象はとても再現性が高く、ワンテンポ遅れて避ける人がいるなと思うと、ほぼ100%の確率で日本人だということを徐々に意識するようになりました。
これが私の日本人の進路被りとの出会いでした。私は、海外放浪の生存技術として、潮州系・海南系・ラオ系・マレー系・タイ系・・・程度の民族を見分けることが出来るのですが、彼らは誰一人としてこの進路被りを起こす人がいません。 彼らは予め進路被りが起こらない方向に避けている為、進路被りになりようがないということもあります。
進路被りを観察しやすい空港
私がこの日本人の進路被りをより強く意識するようになったのは日本帰国後です。
私は東京蒲田が出身であり羽田空港が近いのでほぼ毎日羽田空港まで散歩するのですが、羽田空港に行くと国際線が離着陸する第三ターミナルと、主に国内線の第一・第二ターミナルがあります。つまりここにいると日本人と外国人の歩き方を比較しやすいのです。
コロナ禍前2020年ごろは中国からの観光客ブームが起きていたことから常に大勢の中国からの観光客が溢れかえっていました。第三は大勢の観光客で溢れていました。しかし不思議と人とぶつかることはないのです。しかし第一第二ターミナルは第三よりも広く、歩きやすく決して混んでいるという状況ではないにも関わらず進路被りが起こるのです。これも非常に再現性が高く、空港に行くと毎回必ず数度は進路被りが発生します。
2023年頃から第三ターミナルは国内国際共用になり、日本人と外国人が混在して歩く場所に変わりました。すると以前にも増して、日本人と外国人の歩き方の違いを比較する機会が増えたのです。懐に飛び込んでくる様な形で近付いてくる、或いは人の鼻先を横切るような形で近付いてくる人がいると思うと、それは必ず日本人なのです。それ以外の人はほぼ日本人の様な歩き方をしません。
海外の人々にはよく知られている進路被り
これを日本で指摘するとしばしば「それはお前の思い過ごしだ」という反論をいただきます。これは私の思い過ごしではありません。定量化された数字がある訳ではありませんが、「日本人は周りを避けない」という苦情は、日本に長く居住する海外の人々がほぼ典型的にいい始める苦情のひとつでもあります。
海外では特定の国の人の習慣を批判することは、差別的と解釈される危険を伴うために、声高には語られないという難しさがあります。なので大抵はやや婉曲に静かに批判されることが多いものです。つまり英語の婉曲な表現を知らない限り、これらをインターネットで見つけることはできないという問題があります。
そこで「日本人は避けない」を英語でなんというかを調べてみました。
進路被りを英語でなんというか
私は、日本語での一般的な表現として『日本人は人を避けない』と表現しています。しかしこの『日本人は人を避けない』という表現を日本人に対して発言したとき、いまだかつてその日本語を理解できる日本人と出会ったことがないという現象を観察しています。 ここから『日本人は人を避けない』という表現が実は日本語として一般的ではないのではないか、という疑念を持っています。
では『日本人は人を避けない』を英語ではなんというでしょうか。
| 英語 | 日本語 |
|---|---|
| People stop abruptly without checking behind them. | みんな背後をみないで突然立ち止まるんだよね…😓 |
| They drift into others’paths as if unaware of shared space. | 人の進路を横切るんだよね…周囲が見えてなくて |
| Apologies are automatic but unreflective — a social reflex, not awareness. | ただ反射的に謝ってるだけで、何の気遣いもないんだよね…。 |
| Eye contact and prediction are rare, as if each person is moving through a private tunnel. | まるで自分専用トンネルを歩いている様に周りをみていないし周囲の危険も予測しない |
| 英語 | 日本語 | 意訳 |
|---|---|---|
| People stop abruptly without checking behind them. | 背後を確認することなく突然立ち止まる | みんな背後をみないで突然立ち止まるんだよね…😓 |
| They drift into others’ paths as if unaware of shared space. | 同じ空間を共有している意識がなく人の進路に割り込んでくる。 | 人の進路を横切るんだよね…周囲が見えてなくて |
| Apologies are automatic but unreflective — a social reflex, not awareness. | 謝罪がほとんど自動的で単に社会習慣で気付きがない。 | ただ反射的に謝ってるだけで、何の気遣いもないんだよね…。 |
| Eye contact and prediction are rare, as if each person is moving through a private tunnel. | あたかも自分専用トンネルを歩いている様に目を合わさず先々の予想がない。 | まるで自分専用トンネルを歩いている様に周りをみていないし周囲の危険も予測しない |
海外の人が日本人にはいわない愚痴
これらの表現を使ってインターネットを検索すると、日本人に対する色々な愚痴が見つかります。
- 日本の歩行者・自転車・ドライバーに空間認識というものがあるのか?
- 他人への配慮や注意の欠如は理解に苦しむ。とても苛立たしい。
- 後ろを確認せず、突然立ち止まる。
- さっきまで普通に歩いていたのに、次の瞬間には衝突を避けるために全力で回避行動を取らなければならなくなる。
- まるで無人の野原を歩いているかの様に、他人の進路に割り込んでくる。
- 集団で歩道全体を塞いで、まるで自分たちの専用通路の様に歩く。
- 歩道上はやりたい放題、まるで自分の家の中を歩いているよう。
- まるで自分専用トンネルを歩いている様に周りをみていないし周囲の危険も予測しない。
- 私の仮説はこうだ。社会が人々に家族の様に親しい人間関係へ過剰に注意を向けさせる構造になっているので、一日中それを続けると、外の世界に対してはもう意識を向ける余裕がなくなって、「自分の気持ちを察してくれ」と思うようになるのだろう。
- ぶつかりおじさの心理とは?(人に肩をぶつける男たち)
- 信じられないほど日本人は深刻なレベルで空間認識能力が欠けている。
- 謝罪は自動的で、反省を伴わない──それは意識ではなく、社会的な反射である。
- この表現そのものの引用は見つからないが、次のようなコメントに同じ趣旨が見られる:「恋人と手をつないで歩いていたら、ある男が肩をぶつけてきた……彼らは本当に自分の進行方向を見ていないようだ。」
- 愚痴:高齢者について
- なぜ東京の高齢者は空間認識能力がゼロなのか???
- いや、正直言って、年齢に関わらずみんなそう。
- 日本人の空間的・精神的に気付かなさついての愚痴
- 人々の空間認識の悪さに、心底うんざりしていると気づいた。
- 日本で自分が最も嫌うことをようやく言語化できた──それは、人々の空間認識があまりにも悪く、苛立たしいという事実だ。
- 人々の空間認識の悪さに、心底うんざりしていると気づいた。
- Spatial Awareness among pedestrians, cyclists and drivers - does it exist?
- The lack of awareness and consideration for others is both baffling and infuriating.
- They stop abruptly without checking behind them.
- One minute you’re strolling along, and the next, you’re forced to execute a high-speed manoeuvre just to avoid a collision.
- They drift into others’ paths as if unaware of shared space.
- Groups of people will huddle together, blocking entire sections of the sidewalk like it’s their personal runway.
- It’s like the sidewalks are a free-for-all, with people just wandering around like they’re in their living rooms.
- Eye contact and prediction are rare, as if each person is moving through a private tunnel.
- My pet theory is that society requires people to be so hyper-attuned to their innermost social circle … after a whole day … you’ve just done with the outside world and have decided that the world can start reading your mind for a change.
- What’s the psychology behind ぶつかり男? (Guys who shoulder barge people)
- It is unbelievable… Japanese people seem to have a serious lack of spatial awareness.
- Apologies are automatic but unreflective — a social reflex, not awareness.
- While explicit quote not found in these exact words, the sentiment appears in comments like: “I was walking hand in hand… and one guy shoulder-checked us… It’s like they just aren’t looking where they are going.”
- Rant: elderly people
- Why do elderly people in Tokyo have 0 sense of spatial awareness???
- Let’s be honest, it’s most people.
- Ranting about physical and mental unawareness in Japan
- I realize that people’s spatial awareness is just infuriating
- Out of just pure frustration and sudden realization in how to define what I least like about Japan, I realize that people’s spatial awareness is just infuriating.
- I realize that people’s spatial awareness is just infuriating
日本人は気遣いの文化だと言われています。そして日本人はしばしば「海外の人は空気を読まない」「海外の人は気を使わない」と酷評しています。しかし実は海外の人々は、日本人に対して、日本人が海外の人に対して持っている印象と全く同じ印象を持っていることがわかります。
車と歩行者の間に見られる日本人の進路被り
海外ではこのように、速度の異なる歩行者と自動車が入り乱れて走っていることは珍しいことではありません。自動車が多く行き交う中でも人々は道を渡ることが出来ます。
そしてここでも私は日本に帰ってきてから、しばしば車とすれ違うことが難しいことに気付いたのです。『人が車の前を通り過ぎることを前提としてコミュニケーションを取っている』と私は感じました。
上記のビデオのように全ての通行人走行車が一定以上の速度で移動している環境では、相手の背後を通過するということが最も大きな暗黙の了解として認知されています。これがあるからこそ、人々はぶつからずに大通りを横断することが出来ます。
上記のビデオでも、不慣れなアメリカの方がベトナムの道を横断しています。アメリカ人の方は動きがスムーズではないかも知れませんが、そこにある暗黙の了解を見抜いて横断することが出来るようになるのです。
ところが日本では、道路を横断する人を見た車は、必ず減速ないしは停止し歩行者が車の鼻先を横切るような形ですれ違うように仕向けることが一般的です。 ─── これは実は危険だと私は思うのです。車が先に通過してしまった後に通るほうが安全です。車が通過する前に歩行者が通過すると、車によって死角が増え見えない場所から飛び出してくる小型車やバイクと衝突するリスクが高まります。
しかし日本では必ず自動車の前を歩行者が通ることを期待した反応が一般的です。
日本人独特な道路を横断する時の自動車の動きの認識
私は、かつてトラックの運転手でした。また10代の頃はバイク便という職業で連日バイクに乗って関東全域を走り回るということをしていた時期もあります。なので自動車の運転をしていた時期が長いという特徴があります。
海外放浪していた時は、定常的に移動する必要があったことから、やはり小型のバイクに乗っていました。そこでも人の動きの違いに気付くことがありました。
タイの地方都市にある4車線ある大きな国道を100km近い速度で走行していると、お年寄りや子供が大通りをのうのうと渡っているのです。彼らはバイクが走っていることに気付かないかの様に車道に出てきます。しかしこういう時に止まったりする必要はないことに気付いたのです。
彼らが車道に出てきたらむしろ彼らに衝突する様な方向に向かって走行します。何故なら、彼らはそのまま同じ速度で前進するので、自車が彼らがかつていた地点に到達する頃には、既に5m以上先に進んでいるからです。こうしてお互いに停止することなく通りすぎることが出来るのです。
逆もまた然りです。大通りを渡る時は止まらずに一定速度で進むと、バイク乗りはこちらの動きを先読みしてこちら側に走ってくるので、お互いがスムーズにすれちがうことができるのです。
歩道を走行しているバイクを避ける人々
タイの都市部ではある程度広さの歩道がありますが、大抵かなりの数のオートバイが走っています。それはバイクタクシーと呼ばれ、歩行者を乗せて駅や辻の間を行き交っています。彼らは人を載せて移動する為に、一般の自動車とは違ったルールで動いています。高速道路のインターチェンジの様に複雑なルールがある大通りの車道は、人を載せて辻から辻へと移動するバイクにとって不便なため、車道を避けて歩道を走っています。歩道とはいえバイクはそれなりの高速で走っています。当然大勢の歩行者もそこには歩いています。バイクと歩行者がすれ違う必要性は非常に高いと言えます。
止まらずに一定速度で歩き、無意味に蛇行しないという相手にとって未来が予想しやすい軌跡をたどりながら歩くことが安全に歩く上で最も基本的な心がけといえます。もちろんバイク側にも進行方向を示すはっきりした意思表示が求められ、蛇行するなどこまめな方向転嫁をすることなく一定速度で一定方向に移動することで、予想しやすい軌跡を作るということが基本となります。
もちろんバイクと歩行者の「どちらに避けるかの意思表示」のコミュニケーションも非常に大切になります。肩を引く方向で相手にどちらに避けるのかを意思表示しながら歩いたり、バイクであればウィンカーを出しながら走ったりするというような、移動したい方向の意思表示をはっきりすることも大切です。しかし相手の(歩行者にとってはバイクの、バイクにとっては歩行者の)軌跡から考えて、避けることに無理のある方向に進むことを意思表示しても、相手は避けきれることが出来ないでしょう。
この様な暗黙の了解があることから、バンコクの歩道ではバイクと歩行者が衝突する事故は、その交通量の多さからは想像もつかないほどに稀なことです。
「歩道を歩く大勢の働く人々が、高速で走り回るバイクの行く先を不注意で封じてしまうことがない。」
相手の進む進路を鑑みて、相手が数秒後にどの地点に到達しているかを予想しながら、歩くことが安全に歩く為の最も基本的なマナーといえます。
歩き方から見えてくる日本人の時間認識の違い
私は海外放浪に出て、バイクが走り回るバンコクの歩道を歩き、帰国して、無数の「ちっとも避けない人」が歩き回る蒲田駅の構内を歩き、その動きの違いについて考え、次のようなことを思いました。
ここで、ある大通りの街路樹の地点に歩行者が立っており、その大通りをある車が走っているとします。この歩行者は、これから大通りを横断しようとしています。 車は歩行者に対して右側から現れて左方向へと速く走り抜けていく ─── という場面を想定してみます。
この時タイでは、歩行者が一定の速度で歩いていることから、自動車が街路樹に到達する頃には既に歩行者は道の中腹に到達しているだろう、という未来の歩行者の位置を予想し、その予想される歩行者の位置に対して進路方向を決めます。 つまり自動車は歩行者の後ろ側を通るような方向に進路を変更します。その結果、お互いが停止することなくすれ違うことが出来るでしょう。
この時日本では、自動車はその歩行者のその瞬間の存在地点に対して進行方向を変更しようとします。つまり歩行者が左側にいることから、自動車は右側に方向を転換します。しかし歩行者は左側から右側に向かう方向に進んでいる為、自動車が街路樹の地点に到達したときには、歩行者は既に右側に到達しています。つまり、ぶつかりそうになり、停止する必要に迫られる筈です。
この違いを抽象化すると次のように言い換えることが出来るでしょう。
- 対抗する人や車とすれ違う時や、車や人が多く流れる通りを横断する歳に、
- 日本人は、その瞬間の車の位置に基づいて判断する。
- タイ人は、その地点に到達するまでの移動実績に基づいた未来の歩行者の予想位置に基づいて判断する。
道路横断時に見られる動作の認識の違い
道路横断時に見られる動作の認識の違いを図説すると次のようになるでしょう。
外国の場合
外国で道を横断する場合を説明します。
横断時に現在の動きから未来の位置を予想し、その予想地点に対して反応します。
すれ違うことが出来ます。
日本の場合
日本で道を横断する場合を説明します。
単純に現在地点に対して反応する。
ぶつかります。
日本人の持つ時間認識の特徴
この観察から、日本人は現在起きた何らかのトリガーに反応する形で動作を開始するが、海外の人は、現在の動きの軌跡から近い未来の期待位置を予想し、その期待位置に対して動作を開始するということが言えます。
何故これが重要なのかというと、これが音楽の演奏時に共演者とのリズム上のコミュニケーションを行う上で、もはや致命的と断言出来る程に、極めて大きな違いとなって表れるからです。
音楽演奏する上での日本人の時間認識の違い
ここまでで道路を横断する時の日本人の時間の認識の違いについて見て参りました。道路横断時に起こっていることと全く同じことが、音楽演奏時にも起きています。 それが縦乗りです。
グルーヴする人に良いリズムについての意見を伺うと、彼らはしばしば良いリズムでは『弱拍が先にくる』といいます。 そして悪いリズムは『弱拍が後ろに来る』といいます。
─── しかし恐らく大抵の人は『弱拍が後ろに来る』という状態でリズムを認識しており、それ以外の認識方法は体験したことがなく、何が違うのか理解が出来ないのではないかと思います。
『弱拍が先に聞こえている』という供述は、その人が次に来る強拍の位置を予想していることを示唆しています。次に来るべき強拍の位置が念頭にあるからこそ、弱拍がそれよりも前にあるという認識になるからです。
一方、『弱拍が後に聞こえている』という供述は、その人が次に来る強拍の位置を予想していないことを示唆しています。彼は強拍が聞こえたら弱拍を叩けばよいと考えているからこそ、弱拍はそれよりも後ろにあるという認識になるからです。
時間認識の違いの本質
この様に行動観察から得られた習慣の本質には、未来を予想しその予想地点に対して行動を起こす認識方法と 既に起きた過去の事象をトリガとして行動を起こす認識方法という2つの認識方法の違いとして抽象化出来ます。
この順序の認識方法の違いは、前章でみた
参照:
これらの認識は、本質的に同一です。つまりこれら動作に対する順序の認識方法の違いの本質は、言語リズム上の順序の認識方法の影響を受けているのではないか ─── この様に、その人の母国語の言語のリズム認識のパターンがその人の行動上の時間の認識にも影響を与えているという仮説を
順序認識韻律寄与仮説
その人が母国語としている言語の言語リズムが認知上の順序の認識方法を形成するという仮説を
能動的事前予期的順序認識
これまでに見てきた時間の認識のなかで 未来を予想しその予想地点に対して行動を起こす認識方法 をここでは
シラブル拍リズム・ストレス拍リズム・弱拍先行・尻合わせ・弱拍基軸・逆方向に避ける人・・・等々が
受動的事後追従的順序認識
これまでに見てきた時間の認識のなかで 既に起きた過去の事象をトリガとして行動を起こす認識方法 をここでは
モーラ拍リズム・強拍先行・頭合わせ・強拍基軸・同方向に避ける人・・・等々が
能動予期/受動追従・順序認識軸
人の時間順序認識を
能動的事前予期裁ち割り主義
音楽理論上での、
受動的事後追従付け足し主義
音楽理論上での、
韻律順序偏向
その人が母国語としている言語の言語リズムによって生まれた認知上の順序の認識の偏りのことを、ここでは
次で説明する
モーラ順序偏向
モーラ拍リズム言語(日本語)に特有の
音節順序偏向
シラブル拍およびストレス拍言語(英語・スペイン語など)に見られます。
核順序偏向
典型例:英語・ロシア語などに見られる
予期地平指数
能動的予測の範囲を定量化する指標。次に起こる事象をどの程度先取りして知覚・行動するかを測定する為の指標です。
未来を予想して動く人と過去に対して反応する人
音楽上のリズムに於ける弱拍先行/強拍先行と、道路を横断する人の動作認識には、未来の位置(時間)を予想してその予想位置(時間)に対して行動を起こすという共通点がそこに存在します。
1. 身体の動きを使ってリズム感覚を説明する
歩道を歩いている車道を渡る時に車道を走っている車を避けようとする時の行動を例に挙げると、
2. 衝突する人と衝突しない人の動きの違い
予想する人 衝突する人/強拍が先行する感覚)の場合:
衝突する傾向のある人は、単純にその時点の車の位置だけを基準に状況を判断します。現在、車が自分の左側にいるのを見て、本能的に右側へ避けようとする。しかし、車はその人が思う以上に速く右側へ移動しているため、その人が右に移動した瞬間にちょうど車の進行経路に入ってしまい、衝突を起こしてしまいます。
衝突しない人(弱拍が先行する感覚)の場合:
一方、衝突しない人は、現在の車の位置を見るだけでなく、車が次にどこへ動くのかという未来の位置を予測して行動します。最初は直感に反するように見えるかもしれませんが、衝突しない人は人は、敢えて車が現在いる左側に移動します。何故なら、この人がその地点に到達する頃には、車はすでに右側へと走り去っているため、左側への移動がむしろ安全になるからです。この様に車の軌道を正確に予測することによって衝突を回避することができるのです。
3. 強拍が先行する感覚の特徴
強拍が先行する感覚を持つ人は、すでに起こったこと(前の拍)に注意を向けています。彼らは、すでに観察した過去の拍を基準に、そこから一定の時間を測った後で自分の拍を演奏しようとします。そのため、時間感覚としては常に基準となる出来事の「後ろ」に位置しているのです。
しかし現実の音楽演奏では、テンポは自然に揺れ動くものです。過去の拍から正確に一定間隔を測ったとしても、それが次の拍の位置と正確に一致するとは限りません。したがって強拍が先行する感覚の人は、一般的に一定したテンポを維持することが難しいのです。
4. 弱拍が先行する感覚の特徴
弱拍が先行する感覚を持つ人は、過去に起きた出来事を観察し、それを基にして次に起こること(次の拍)を予測します。彼らは次の拍の位置を予測して前もって自分の拍を準備し、常に自分の認識する時間軸のなかで基準となる出来事よりも「前」に位置しているのです。
実際の音楽演奏に於いてテンポが常に揺れ動いていても、弱拍が先行する感覚を持つ人は、予測した拍の位置と実際に起きた拍の位置を絶えまなく比較することによって、自分のタイミングを微調整することができます。このような継続的な予測と調整により、安定した一定のテンポを維持することが可能となるのです。
強拍弱拍は、必ずしも4分音符しかない訳ではありません。8分音符で見た時にも、奇数拍は強拍で、偶数拍は弱拍になります。この様に複数の音価上で複数の系統の強拍弱拍が常に同時に存在するのです。そしてこれらの複数の弱拍に対して「前に来る」感覚を持って演奏しているのです。
事例 - ぶつかりそうになる人
ある日、私は終電間際の比較的空いている蒲田駅で連続ワンテンポ遅れ同方向避け野郎と鉢合わせし、そうでなくてもイラついている最中、苛立ち爆発したことがありました。
この時に起こった現象を時系列で整理して説明すると次のようになります。
- 私、7メートルほど先で、このまま行くとぶつかる人を発見
- 私、スピードダウンして、相手の進む方向を確認
- 私、相手が進む方向の意思を見て、相手の背後方向を通過するよう方向調整したい
- →すれちがう際の安全マージンを確保
- →私、この前挙動で相手に対してどちらに避けるか意思表示が完了
- 相手、前挙動なし。
- 私、方向転換し相手の前方を横切らないように大幅に進路変更完了
- 相手、ここで私が回避行動をとっている事を認識
- 相手、ここで遅れて「社会に迷惑かけてはいけない原則」が発動
- 相手、慌てて回避行動を開始。私が避けた方向に方向転換。
- → もう既に私が回避行動を取った後
- ※同方向避け発生
- 相手、パニック
- 私、苛立ってまた進路変更
- 相手、「相手に迷惑かけてはいけない原則」が発動
- 相手、慌てて進路変更
- ※また同方向避け事案発生
- 私、激怒
そもそも『相手が進む方向を見て、相手の背後方向を通過するよう方向調整することによって、すれちがう際の安全マージンを確保する』この前提条件が満たされていない段階で、彼は通路上ですれ違うことに既に失敗しているとも言えます。その後の回避遅れの全ての原因も同一です。
その他、すれ違う為に考えうる全ての対策は無効です。
- 立ち止まらずにただ方向転換だけして前進する
- → 直前に逆方向に避けて激突することがある
- 避けないでそのまま前進する
- → そのまま気付かず避けないでぶつかることが多い
- もういっそのこと立ち止まる
- →相手も立ち止まる。前に進めなくなる。
結局スムーズにすれ違うことが出来ないのです。
- 相手に対して次の行動を予期させる何らかの合図を示さない
- 相手に対して次の行動を予期させる何らかの合図を示しても見ていない
- 常に既に起きたことをトリガとして行動を開始する
これらの本質に
これが
- 強拍先行
- 強拍基軸
- 頭合わせ
- 2⁻ⁿリズムを
を引き起こしていると考えられます。
つまり縦乗りの人の全ての行動の本質にあるものが
- 走っても縦乗り
- 歩いても縦乗り
- 座っても縦乗り
- 立っても縦乗り
- 踊っても縦乗り
- 歌っても縦乗り
- ジャズ演っても縦乗り
- クラシック演っても縦乗り
- ブルース演っても縦乗り
どことなくもっさりしており躍動感がない。踊れない。楽しくない。人に伝わらない。
これらの全ての原因は、
縦乗りは、日本人の行動を全て支配する
ここまでで、
これまでの時間認識は3〜4秒というような比較的短時間での順番の認識について見て参りました。 これは3時間〜4時間、3ヶ月〜4ヶ月、3年〜4年という大きな時間の流れの中でも全く同じことが観察出来ることをこで見ていきます。
何かきっかけとなるべき出来事(トリガー)があってそれに対して行動を起こす。
- 始まり時間は意識できる
- 終わりの時間は意識できない
という2つの認識偏りを生み出します。
リズムの強拍時間は正確なのに弱拍時間は不正確
縦乗りの人は2人組で交互に手を叩くことが出来ないという特徴があります。これはその人の時間認識の方向
交互に手を叩くときには相手がどこで手を叩くのかを予期した上でその丁度中間の時刻に手を叩く必要があります。人間のリズムにはずれがあります。相手の手を叩く位置を予想した上で、常にその予想位置と実績位置とのずれを調整した上で、中間地点を予想して手を叩く必要があります。 この作業は本質的に
この時、相手が手を叩いた実績に対して行動を起こす
自分の手を叩く位置の距離を一定に保つことが出来ないので、テンポを一定に保つことができません。結果として手を叩く位置が無限に加速したり、無限に低下したり、或いは中間位置を維持できずに重なってしまったりという現象が起こります。 このことをここでは
これも開始位置(強拍)は意識できるが、終了位置(弱拍)は意識できないという
メロディーの開始位置は正確なのに終了位置は不正確
日本人が作るメロディーには1小節目1拍目から始まって終わりがないというはっきりした特徴があります。しかし日本人にとってこれは完全に無意識で全く意識することが出来ないという問題があります。
これも
会議の開始時間は正確なのに終了時間は不正確
これはつまり日本人の通勤時間などがこれに相当します。
日本人は時間に正確ということはよく言われることです。しかし日本人が正確なのは、開始時間だけで終了時間に正確なことはほとんどありません。これも日本人の
これにははっきりとした証拠があるわけではありません。
しかし興味深い言語上の表現があります。
このようにお互いの位置がずれあって互い違いになっている状態を英語では スタッガード(staggered) といいます。 例えば、前述の交互手叩きのようなリズムのことを英語では 互い違いのリズムStaggered Rhythm と呼びます。
そして日本語での「時差出勤」のことを staggered work hours と言います。日本の時差出勤がなかなか根付かないことは日本語を話す人であれば誰もが知るところではないかと思います。
日本人の Stagger 出来ないリズム感覚 ─── その深層には自ら能動的にタイミングを決めることができないという
拍の開始地点は正確なのに拍の終了地点は正確ではない
日本人ドラマーは、どんなリズムを叩く時でもハイハットとスネアドラムとバスドラムがぴったりの位置に揃っていて、リズムの面白みがない。本来リズムにはずれがありそのリズムのずれがリズムの面白さの基本にあります ─── しかし日本人はこのリズムのずれが認識出来ません。 これも
既に起こってしまった出来事に対しての時間経過しか認識出来ないため、ばらつきのある時間というもの自体が認識出来ないのです。これも
日本人のドラマーは一般的に音が小さい ─── それは和製ジャズマンにとっては良いことと思われているけども、それは断じて間違っている。
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) December 4, 2022
外国のドラマーの演奏を聴くとその音の大きさに驚く。本当に目一杯叩いている。だけど他の楽器の音をかき消すこともなく、普通に綺麗に聴こえる。
何故か。
リボ払いで問題を起こす日本人
クレジットカードの支払方法でリボ払い というものがあります。月々の支払額は一定で支払い完了日だけが後伸ばしになっていくというシステムです。
このリボ払いについて、日本人だけがリボ払いでしばしば問題を起こすという説があります。この説の信憑性は不明です。しかし
この説は今後検証が必要ではありますが、関連する事象として注目する価値はあるでしょう。
まとめ
日本人のもうひとつの大切な風習として節目を大切にするという風習があります。 これは日本人として謙虚に
私はしばしば「日本文化を批判しすぎる」という批判を受けますが、私は単に日本人として節目を大切にしましょうという日本人としてごく当たり前なことを指摘しているだけなのかも知れません。
私は日本人としてこの日本人の「終了地点が認識出来ない」
私(筆者岡敦)は、この見識が、日本文化の素晴らしさを世界に伝え、日本文化のさらなる発展を支える基盤となることを心から祈っております。
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